気まぐれ日記 2013年6月

2013年5月ここ

6月1日(土)「個展初日・・・の風さん」
 会社の元部下が夕方来るはずなので、夫婦で次女の個展を観に行った。オーナー自慢のコーヒーとシフォンケーキも楽しみである。
 梅雨に入ってもさわやかな気候の中、駅まで歩き、電車に乗った。
 昨夜はたっぷり寝たので、電車では読書ができた。寝不足のワイフは横で寝ていた。
 地下鉄の駅を降りてすぐのところにカフェはあった。
 既に元部下夫婦が来ていた。それだけでなく、カフェは客で一杯だった。オーナーが無愛想でも、やはりコーヒーとシフォンケーキの味は絶品だった。まもなく同僚も到着して、4人で賑やかに話した。次女の作品がきっかけの楽しい語らいだった。
 皆と別れ、私たち夫婦は2年に1度くらいのショッピングをしてから帰宅した。2年に1度なので贅沢な買い物をしてしまった。私は贅沢に値しないボケ老人なのだが。

6月2日(日)「ひたすら祈願・・・の風さん」
 今日は大野先生のお見舞いである。
 昨日と同じように最寄りの駅から電車に乗ったが、気分は昨日に比べたら著しく重い。病んでいる恩師の姿を見るのがつらいのだ。
 名古屋駅からひかりに乗車した。昨日買ったチケットショップの安い自由席回数券だったが、うまい具合に座れた。
 ひかりでも京都までは40分とかからない。
 京都駅で市バスの1日乗車券をワイフが買ったが、元が取れるような乗り方ができる日ではない。休日で観光日和だ。
 京大病院までのバスは超満員だった。
 瀟洒な積貞棟に入り、呼吸を整えてから病室へ向かった。
 先生はベッドの上に体を起こしておられたが、すっかりやつれた姿は隠しようがなかった。
 毎年人間ドックに入っていて、いきなり末期がんだと言われちゃかないませんよ、と屈託がなさそうだが、いつまでも入院なんかしてられませんからね、もうじき退院の日にちを決めますから、と強靭な意思を示され、こちらは胸がしめつけられる。
 早速、昨夜作った写真立てをお見舞いに進呈した。学会発表で(先生ご夫婦と私たち夫婦で)ドイツへ行ったとき、ミュンヘンのマリエン広場でビールジョッキを傾けて笑顔の大野先生のお写真だ。先生のお顔が一気にほころんだ。
 続けて、昨日届いたばかりの新鷹会アンソロジー『雪月花 江戸景色』(光文社文庫)を差し上げた。
 ベッドで拙著『怒濤逆巻くも』を再読されたらしく、やはり鳴海風さんの史実に立脚した作品は迫力がある、とほめてくださった。今回のアンソロジーに収録された短編「天連関理府(てれがらふ)」も異色の作品だが、吉田松陰を主人公にし、かなり史実に基づいている。きっと喜んでくださるに違いない。これからもたくさん書いて先生に誉めてもらわねば。
 ワイフもお土産のお菓子と、つきっきりで看病されている奥様のためにトールペインティングで絵を描いたポーチを渡した。
 こうして40分あまりも賑やかに歓談してしまい、先生の疲労に気が付いた我々は早々に退室した。もうすぐ退院すると宣言している先生に、また来ますとはとても言えなかった。
 その後、私たちは、平安神宮、八坂神社、知恩院と回って先生の快癒を祈願したが、バスの1日乗車券の元をとるため、さらに清水寺にも寄らなければならなかった。
 晩ご飯は、これもゲンを担いで京都駅でとんかつを食べ、先生の疫病神を追い払おうとした。
 心身ともに疲労した京都の旅だった。

6月3日(月)「年金・保険説明会・・・の風さん」
 朝から終日、定年退社者向けの年金・保険説明会が本社であった。
 出てくる説明者が皆口をそろえて「長年のお勤めお疲れ様でした」と言うので、久しぶりに従業員に優しい会社の姿勢を味わった。こうでなくっちゃ。
 それはともかく、私にとっては重要な説明会である。
 初めて聞く話が多かったが、今日は2つの収穫があった。
 第一は、セカンドライフをあまり長期を前提に考えない方がいいという恐ろしいアドバイス。なぜなら、トヨタグループで長年働いた人は、過労と定年後の生活の脱力感で一般に短寿命なので、せいぜい75歳ぐらいで死ぬと考えて、必要なことには早めにお金を使った方がいいのだそうだ。
 なかなか言いにくいことをズバリと言うものだ。感心した。
 第二は、節税したい方は、なるべく収入が十分に減ってから退職金を手に入れるようにすること、というもの。なお、実際の話は、個人個人で違うので、真剣に検討したい場合は、税理士や専門家に相談してください、私たちでは対応できませんとのことだった。
 これまた、同じような質問をさんざん受けてうんざりしている人らしい、ストレートな言い方で感心した。
 説明を受ける側からアホな質問もあった。
 震災や業績不振で会社がダメになったとき、年金はどうなるのか、というものである。こんなこと、世の中ではいくらでも起きているではないか。有名な例は日本航空だろう。ないものは出せない。限られたお金をどう分配するかは、若い人、現役から順番に不利をこうむって再建にあたる。古い人ほど影響は少ない。不祥事が原因で、誰かを訴えることができたとしても、取り戻せるなんて期待できない。たとえ取り戻せても、そのときは年寄りは死んでいる。心配なら、早めに全額もらえばいい。
 勉強にはなったが、自分の場合どうするか、これからワイフと何度も相談することになる。
 定時後、カリチューへ直行した。
 待ちに待ったミッシェルの後継車を受け取るためだ。
 あいにく社長もジュニアも不在だったが、クルマの準備はできていた。
 久しぶりのマニュアルである。
 途中で給油もして帰宅したが、一度もエンストすることはなかった。
 快調!

6月4日(火)「後継車の名前はキャメロン」
 後継車で初めて有料道路を突っ走った。100q/hを超えると非常にうるさい。エンジン音ではない。マフラーからの排気音だ。まるで鈴鹿サーキットで聞く音である。
 昼休みに研修所の同僚に見せた。
 エンジンをかけアクセルを吹かして爆音を響かせた。皆、目を丸くしている。
 ボンネットを開けて、ストラットタワーバーやラジエーターフード、交換されているエキゾーストマニホールドを見せた。
 効果を聞かれたが、まだ分からないと答えた。
 マイカーが変わったせいか朝から頭痛がする。薬を飲んだ。
 今日は帰りに郵便局で振り込みをした。
 後継車の走りはドライバーの肉体に厳しい。スパルタンだ。
 ミッシェルは女優のミッシェル・ファイファーからとった名前だ。後継車には激しい印象を与えるイメージが欲しい。
 そこで、思いついた。アメリカのテレビで放映されているらしい「ターミネーター」に出てくる女ターミネーター。
 その役名からキャメロンと名付けることにした。

6月5日(水)「正規の駐車証をゲット・・・の風さん」
 4時過ぎに起床。今日は楽しみがある。
 キャメロンで旧職場へ出社。臨時駐車証をもらって、中へ。
 同僚らにキャメロンを見てもらって、正規の駐車許可証をもらう準備。
 早速の好反応。すごくいいタイヤ(ポテンザ)を装着してますね⇒以前からだよ(笑)。
 新たな改造部位の指摘を受ける。ラジエータが大型化されていた。電動ファンが2個もついている。
 ハイテンションコードも違う……ということは、当然プラグも変わっているだろう。
 単なるこけおどしの改造ではなく、本気で馬力アップ、トルクアップをはかっているらしい。
 出張中の上司の許可を得て申請書を作成し、昼休みに保安まで手続きに行った。
 また同じタイプのクルマになったので大笑い。
 これで大きな懸案事項が一つ解決した。
 一方で、東京から仕事の依頼メールが届いたが、定年後は受けにくくなる事情を説明して保留にさせてもらった(事実上パス)。

6月6日(木)「キャメロンのトルク特性がカタログと違う・・・の風さん」
 研修所の出社し、自分で開催した会議を二つもこなした。
 仕事は忙しい1日だった。
 定時後に、研修所の同僚をキャメロンに乗せたり、ハンドルを渡したりした。
 オープンカーにもしたので、異次元の楽しみを味わってもらえた。
 燃費悪いですよね、と意地悪な指摘をする同僚もいた。確かにそれは不安。
 しかし、キャメロンはミッシェルと明らかにエンジン出力特性がカタログと違っている。
 2000rpm付近にトルクの凹みがあるはずなのだが、ないのである。スムーズに加速していく。
 40km/hで5速で走っていてもストレスを感じない。
 デモンストレーションで空吹かしを何度もやっているので、こうなったら徹底してエコ運転してやる。

6月7日(金)「出張から帰省・・・の風さん」
 旧職場で開発中のPALAP(Patterned Prepreg Layup Process)が11年ぶりにJPCAショーに出展されるので、それを楽しみに出張した。
 昨年、日本ものづくり大賞の内閣総理大臣賞になり、今年は高多層基板としてギネスブックにも登録されるという快挙を成し遂げたので、私の時代に果たせなかった新規事業としての再挑戦であり実際チャンスである。
 行ってみると、東京ビッグサイトの会場のど真ん中にブースが設置してあり、満員御礼状態だった。
 汗だくで説明にあたっている同僚らをねぎらって、私はいつものように会場内をぶらついたが、私に声をかけてくるブースに対しては、逆にデンソーのPALAPを展示してあるから見てくださいと宣伝した。
 景気回復を反映してか、会場内は昨年よりもごった返しているように見えた(あとで判明した公式情報では、昨年並みだった)。
 夕方、東京駅で知性社の編集者と1時間弱会って、7月に出る冊子の原稿のゲラ打ち合わせをした。
 いつものように19時の東北新幹線で福島へ向かった。
 途中から雨が降り出して、気分も次第に落ち込んでくる。
 郡山駅で晩御飯にたぬきそばを食べ、バスで実家へ向かった。
 5月の連休以来だが、あのとき大量に出たごみがなくなって、一層、実家がさみしく見える。
 缶入りのカクテルを飲んでさっさとベッドに入ったが、胸の奥が不安定にざわついた。

6月8日(土)「整理するほど遺品が増える・・・の風さん」
 ゴールデンウィークまでに片付けたかった部分を集中的にアタックした。
 母の琴や三味線関連の品物、こけし類、父の遺品類(アルバムや本など)を段ボール箱に詰めた。
 私自身の本類も段ボール箱に詰めた。
 母の部屋に積み上げてある品物類を見ているうちに、茶箱類に気が付いた。
 茶箱は我が家の独特の収納方式で、気密性が高いため、衣類や貴重品の保存に向いている。しかも丈夫。
 全部で7個ある茶箱を何とか私の家へ運びたくなった。
 物理的にはきわめて厳しいが、迷っている場合ではなかった。
 物入れの中や階段の途中に置いてあったものも片付けた。
 帰ったら、今度こそ、自分の物を積極的に捨てなければ……。
 今夜も兄貴のところへ晩御飯を呼ばれ、満腹になって帰宅した。

6月9日(日)「今回の遺品整理はほぼ終了・・・の風さん」
 少し寝坊してしまった。
 急いで自宅へ送る遺品置き場を整理し、今回持って帰れるだけをバッグや紙袋に詰めた。
 母の黒いジャンパーは女物ながらLサイズで私にピッタリだったのでもらった。新品の座布団2個は、振動の激しいキャメロン用だ。
 兄貴に駅まで送ってもらい、イカ天そばで昼食にし、待合室でおばちゃんが語る福島の昔話を聞いてから、JRバスに乗車した。
 ここまで恒例行事化している。思い出づくりの一種だ。
 東北道はやけに混んでいた。やはり景気が戻ってきているのだろうか。
 途中交代はあったが、2人の運転手はどちらもレーサーのようにハンドルを操り、絶対定刻は無理と思われた新宿駅東口に、10分以上も早く着いた。
 晩御飯はおにぎり2個で、今回は爆睡することなく、自宅の最寄りの駅まで、かなりの時間を読書に使うことができた。
 私があまりにも大量の荷物を抱えて帰宅したので、ワイフが目を丸くしていた。
 こちらへ送る荷物が膨大になってしまったことは、しばらく黙っていることにした。

6月10日(月)「キャメロンの燃費は?・・・の風さん」
 旧職場へキャメロンで出社。実家から持ち帰った座布団効果で、振動がややマイルドになった。
 昨年からずっとナビのハードディスクに録音した音楽を聴きながら運転しているが、キャメロンはうるさい。そのうち英語練習モードに復帰しても、勉強にならないな。
 これから旧職場に寄るたびに何か捨てようと思う。定年まで4ヶ月。ここは引き払うことになるからだ。寂しいが仕方ない。
 昼食後、研修所へ移動。
 夕方、近くの整備工場に出張した。クラウンのフルシャシーのカットモデルを製作中である。完成したら研修所のロビーにしばらく展示して、その後、研修センター本社工場に置いて、研修で使用するそうだ。
 それにしてもでかい。はだかでこれだけでかいのだから、ボディがかぶさっていれば、さらにでっかいはず。
 やはり小さいクルマが好きだな。
 キャメロンはエギゾーストマニホールドが改造されていて、明らかに馬力とトルクがアップしている。
 帰りにそのキャメロンに初給油した。エコ運転効果があって、燃費は10.5km/L以上になった。これからは11km/Lは軽いな、と思った。

6月11日(火)「今日は長谷川伸先生の祥月命日・・・の風さん」
 今日は研修所へ出社。
 多忙な中、今月中にやるべきことをいくつか仕掛けた。
 月末には恒例の長谷川伸の会があるが、今日が長谷川伸先生の祥月命日である。昭和38(1963)年にお亡くなりになったので、ちょうど50年で、著作権も消滅する。著作権は財団法人(現在は一般財団法人)新鷹会が継承したので、今後は長谷川伸先生の印税が入らなくなる。今でも歌舞伎やお芝居で先生の原作が使われるので、印税収入が続いていたが、それももうなくなる。
 10年前くらいから、この日が来ることを想定して色々な議論を仕掛けてきたが、まったく盛り上がらなかった。
 中小企業の後継者問題ともよく似ていて、オーナー経営者の力の限界内ですべてが処置されてしまうのである。
 力不足を強く感じて落ち込んでしまう。
 それはともかく、今週末にはビジネススクールのゼミがある。卒業研究ともいうべきケース作成に関してのゼミである。
 指導教官の好リードに応えていけば、きっとゴールにたどり着けると信じているのだが、なかなか厳しいものがある。

6月12日(水)「空梅雨から節水へ?・・・の風さん」
 身の回りの整理もあって、旧職場へ出社した。
 ここには社会人入学当時の資料がどっさりある。最終的には自宅へ持ち帰ることになりそうだが、先ずその前に、捨てられるだけ捨てなければ、また大量に自宅に置くことになってしまう。
 今日は用事があって少し外出したが、また戻ってきて、整理の続きをやった。
 台風が近付いていて、今日は梅雨前線が刺激されて大雨が降る可能性があったのだが、とうとう終日雨は降らなかった。
 台風は日本列島を避けるように太平洋上へ去って行った。
 今年は空梅雨になりそうだ。空梅雨は危険で、ダムに十分な貯水量がないと、夏場に水不足になる。電気不足時の節電と同様で、節水もけっこうつらい。
 帰宅して、ケース作成をしようとしたが、どうにも疲労感がべったりで(節エネが必要)、とりあえず仮眠することに……したら、そのままダウン。

6月13日(木)「急きょ有休取得で対応・・・の風さん」
 どう考えても卒研に代わるケースを、土曜日のゼミに耐えられるレベルまで書き上げる自信がなかったので、会社へ連絡して、急きょ有休にした。
 昔、課長昇格3年目のマネジメント論文という課題があって、結局、ギリギリになってしまい、3連休を取得して書き上げた。
 あのときと気分的に似ている。
 こういった作業は、集中してやらないとできないのだ。
 そして、1日あればかなりできるだろうという読みは、ものの見事に覆された。
 ケースのひな型というものが、WEB上にアップされていて、それに従って書き始めたら、かなり神経を要することが分かった。
 とうとう夕方になり、夜になり、いつものように書斎に寝袋ならぬお昼寝マットを用意しての取り組みになってしまった。
 そんなことをしていた今日、久しぶりに楠木誠一郎さんから新刊が届いた。『日本史の大事件100』(毎日新聞社)である。
 楠木さんの得意なジャンルの仕事だが、昨年予告があったように、依頼ががくっと減っているようだ。
 ボヤボヤしていると、私も業界から忘れ去られてしまうかもしれない。

6月14日(金)「今日も有休・・・の風さん」
 朝になってもできなかった。
 そのままほぼ徹夜状態で昼まで頑張り、もうフラフラだったが、いくらなんでも指導教官に送らねば失礼になると思い、形だけできたところで、メール送信した。
 それからまたダウンしてしまい、夕方まで4時間仮眠した。
 先生から受信確認のメールが届いていた。
 ケースに続けて、コンサルティングノートというものも出さねばならない。
 来週末が締め切りなので、それで、土曜日にゼミがあるのだ。
 夕食後、そのコンサルティングノートもひな型に従って書き始めたが、もう限界だった。
 とりあえず書きかけのものをメール送信し、明日のゼミで実際の書き方を相談させてもらうことにした。
 夜、真剣にまたダウン(今度はベッドで)。
 ……と、思い出して、新鷹会の二階堂さんへメールを送った。明日は恒例の長谷川伸先生の墓参と二本榎の長谷川邸での勉強会である。
 月末の長谷川伸の会の準備状況などを教えてもらうようにお願いした。

6月15日(土)「久しぶりの書店営業・・・の風さん」
 ケースの指導教官とのゼミは、ふだんの講義と同じ午前10時からだったので、いつもの電車で出発した。
 伏見キャンパスには先生よりも早く到着し、マックの起動など準備を始めることができた。
 プロジェクターを使って、ホワイトボードに映し出すとき、不安がよぎった。ミラーリングの設定問題で、映らないのである。
 以前にも起きたことで、詳しい人が助けてくれてそのときはうまくやれたが、実は一人では対処できないのだ。
 いちおうプリントも持参してきたので、それらもお渡しして、あとはマックの小さなディスプレイを見てもらいながらケースの内容を説明することにした。
 …………と、諦めたとたん、なぜかホワイトボードにマックの資料が突然映し出された。どうして映ったのか、さっぱり分からない。
 とにかく、幸運にも、それでゼミがスムーズにできた。
 ゼミを無事に終えることができたので、すぐ帰宅するのはやめて、ちょっと足を伸ばした。
 会社の同僚からの情報で、いりなかにある三洋堂書店で、新潮選書歴史フェアのコーナーがばっちりできているとのことだった。
 もしその通りなら、久しぶりに書店での営業活動をやろうと思ったのだ。
 情報通りだった。店に入ってすぐの島にコーナーが作られていた。私の『江戸の天才数学者』は平積みだった。
 早速、1冊を取り上げ、レジに持っていき、支払いをしながら、「責任者の方に会いたい」とお願いした。
 まもなく若い男性がやってきたので、本を見せて著者であることを告げつつ、サインして贈呈した。
 大変喜ばれたので、名刺交換し、私の本を平積みから表紙が見える棚展示に変えてもらった。
 その状態をiPhone5で写真も撮った。
 「必要なら全部サインしますけど」と提案したが、慣れていなかったようで、「後で店長と相談します」という返事だった。

6月16日(日)「母の遺品の行方・・・の風さん」
 今日は地元の図書館に出かけた。出版されたばかりの新鷹会アンソロジー『雪月花 江戸景色』(光文社文庫)を寄贈に行ったのだ。
 いつも2冊寄贈する。1冊は開架だが、もう1冊は郷土資料コーナーに置き貸し出しはされない。
 今日は館長としばらく話すことができ、面白い話を聞いた。河童の話だ。
 地元に河童の像が3体あって、その由緒を調査するところから始めて、最後は、町おこしに利用して河童ブランドの食べ物も色々と作ったという。
 観光が最大の資源の土地なので、こういった努力は貴重である。
 私がどこかで講演するときに宣伝してもいいですか、と尋ねたら、まったく問題ない、むしろ歓迎するとのことだったので、折を見て講演ネタに盛り込もうと思う。
 図書館のスタッフの何人かは、休止中の私の文章サークルのメンバーなので、会社の定年になる10月が過ぎたら、また再開すると約束した。
 それから、亡き母の話はよくしていて皆知っているので、形見分けの品物を持参し、もらってもらった。快くもらってくれたので、うれしかった。
 帰宅し、ゴールデンウィークに実家から持ち帰ったお面類を、1階の廊下の壁に飾った。地震が起きても簡単に落下することがないように、しっかりと取り付けた。
 裏庭の物置には、まだ遺品類がたくさんある。何とかしなければ。

6月17日(月)「久しぶりの週明け気分・・・の風さん」
 珍しくスローペースの週末を過ごしたので、今日は週明けの感覚がある(いつもはエンドレス)。
 製作所へ出社した(これも久しぶりだな)。早く着いたのに駐車場がいっぱいで、別の場所へ。
 調子が狂って、IDでのスリットを忘れた(早くも今日の1ボケ)。
 会議後、懸案だった話を学園長の耳に入れた(それでどうなるわけでもないのだが)。
 研修所に移動。昼食はカロリーメイト100kcal。午後は、明日の会議の準備に専念した。
 今日は旧職場のテーマが本社で審議されている。トップがそろう重要な会議である。結果が気になるが、あとで聞けばいいことだ。
 今週は、ケースの1次提出を終えて、また福島へ行くので、ボケているわけにはいかない。

6月18日(火)「今日も1ボケ・・・の風さん」
 午前中、研修所で自分が主催する会議をこなした。
 超多忙で、頭もボケている中、仕事をしなければならないので、それこそ石橋を叩いて渡るような、あるいは亀の歩みにも等しいのろさで、こつこつやるしかない。
 会議を無事に終え、昼食のおにぎりを2個食べたら、意識が薄れたのか、午後いちばんの会議に出席するのを忘れた(今日の1ボケ)。
 忘れた会議では、私が来月おこなう「先輩講話」について最終決定がなされたはずだ。
 同じトヨタグループ会社に勤める知人から「寿」封書が届いた。執行役員に就任したことの連絡だった(あちらの株主総会は先週、うちは明日である)。実力と人望兼ね備えた方なので、当然のことだろう。お祝いに拙著を送ろうと思う。
 ビジネススクールのケース課題はワードのファイルで提出しなければならない。脚注の入れ方が分からなかったので、PCに詳しい同僚に教えてもらった。ホッとした。
 今夜は戸締り当番で帰宅が遅くなった。
 雨模様だったので、虫が激突する心配は少ないだろうと、有料道路を使って帰った。
 楠木誠一郎さんから新刊が届いていた。そろそろペースが上がるのだろうか。
 講談社青い鳥文庫『源義経は名探偵!!』である。いつものタイムスリップものだが、今なぜ源義経なのだろう?
 ワイフが不機嫌だったので、次女に聞いたら、私が日曜日に実施したお面展示が原因らしい。

6月19日(水)「キャメロンで疾走・・・の風さん」
 6時起床。7時12分発の電車で大阪まで行くワイフを最寄りの駅まで送った。
 雨の中、八草キャンパスまでキャメロンで行き、懸案事項のOFFICEのソフトの確認をしてきた。結果的には、行かなくても済むことだった。
 これを1ボケとしていいかどうかは微妙だが、とりあえずカウントしておこう。
 昼食を学生食堂で摂った。工学部の学生がほとんどなので、何となく好感がもてる。
 旧職場では、行くたびに、わずかずつでも物を捨てるようにしている。定年まで4ヶ月を切っている。
 少し残業して退社し、途中、ガソリンスタンドでキャメロンに20リッターだけセルフ給油した。エコ運転の燃費確認は、来週の月曜日の予定だ。
 帰宅して、カップめんで夕食を摂り、すぐに廊下のお面整理にとりかかった。
 最寄りの駅まで2回往復して、ワイフと次女それぞれを迎えた。
 夜中に、自分の物の整理をした。自宅でも捨てることが最大の課題だ。

6月20日(木)「悩み多き日々・・・の風さん」
 今日も雨模様の1日だった。台風も近付いているらしい。
昨日お面を整理したので、ワイフが機嫌よく送り出してくれた。
 イマイチ元気の出ない日だ。実は、毎日なのだが。
 定年が近付いているが、憂鬱の種はその先にある。生活のレベルをなるべく落とさないようにすると、自分の気持ちとの妥協をはからねばならなくなる。それが嫌なのだ。あれもこれも求めるのは無理だと知っているのに、何とかならないかと考えてしまう。それが弱い人間の悲しさなのだ。
 研修所で自分が主催する会議を終えて、ひと安心して早々に帰宅することにした。
 雨模様で虫が付着する心配が少ないので、有料道路を使った。
 明日東京へ出張し、その足で福島へ行く。
 なので、明後日が締め切りなのだが、リスクマネジメントで、今夜中にケースの1次提出をクリアしておきたい。
 自分で満足いくところまで書き上げるのは、今夜中では困難である。
 それでも、とにかく、やらねばならなかった。
 結局午前3時近くまでかかってしまった。

6月21日(金)「悲しい帰省・・・の風さん」
 2週間前と同じパターンで、東京ビッグサイトへ向かった。
 設計・製造ソリューション展というやつだが、3Dバーチャル展も併設してあるので、見どころは多い。
 早速3Dのところへ足を踏み入れた。
 すごい混雑。まともに歩けないくらいだ。
 やはり流行なのだろう。3Dプリンターがそこらじゅうにある。確かにパテント切れで安くはなっているが、数十万円のものはその程度で、本格的なラピッドプロトタイピングとしても耐えられる機種になると2000万円くらいする。
 あちこち冷やかしながら歩いているうちにどんどん時間が経過してしまった。
 昨年に続いて、歯車ソフトのアムテックのブースを訪ね、社長以下と歓談した。
 自動車の世界は、内燃機関からハイブリッド、やがて電気自動車、燃料電池車と変わっていくだろうが、タイヤが回転して車が走るというメカニズムがある限り、歯車の存在は続く。そういう意味で、アムテックのビジネスの将来は明るい。
 閉館の5時まで東京ビッグサイトにいたが、すべては見きれなかった。一部がポートメッセなごやに来るから、行こうかな。
 出版社との打ち合わせが直前になって流れたので、久しぶりに八重洲ブックセンターに寄ってきた。
 相変わらず拙著のストックは充実しているようだ。
 午後7時の東北新幹線で北上し、郡山駅で降りた。
 夕食にたぬき蕎麦を食べて、バスに乗り換えて実家へ向かった。
 2年半前、母が心筋梗塞で倒れてから、何度も繰り返してきた帰省の仕方である。
 今度こそ最後にしようとしている。

6月22日(土)「ひたすら遺品の整理と荷造り・・・の風さん」
 お世話になったヘルパーさんへお礼をする準備を昨夜遅くまでやったが、電話してみると都合が悪く、今回は会えないので、兄貴のところへ預けていくことにした。
 今日は、3つの大物の荷造りに挑戦したが、また最後までできなかった。
 しかし、幸運もあった。
 母だけでなく父の本も大量にあって、すべて我が家へ送るのはまずい気がしたので、念のため客員研究員をやらせてもらっている日大工学部のSSLへ連絡したところ、研究室で引き取ってもらえることになったのだ。
 昼食に近所のスーパーで「スパゲティ・ボンゴレ」を買ってきて食べ、パワーをつけた後、私の学位論文やコーヒーカップのセットも含めて荷造りして柿崎先生の到着を待った。
 夕方わざわざ引き取りに来てくれた先生と、小一時間も歓談し、全部持ち帰ってもらった。非常にうれしかった。
 夕食はまた兄のところへ呼ばれ、猫の写真家の番組を観ながらたらふく食べて帰宅した。
 今回こそ最後と思うと、簡単に寝るわけにはいかない。
 しつこく母の遺品を整理していたら、また本が出てきた。すべて鳴海風の本だった。柿崎先生へメールして、明日帰る時、郡山駅で渡すことになった。

6月23日(日)「つらかった2年半の終結近し・・・の風さん」
 朝から夢中で荷造りの続きをやった。手を抜くことができない性格なので、汚れた物はきれいにしてから荷造りする。壊れやすい物は、しっかりクッション性のあるもので覆う。さらにその上を紐でしばってバラバラにならないようにする。段ボール箱は、重過ぎないように、すべて小ぶりなものばかりだ。
 こうしてお昼になって、兄貴が迎えに来る時刻になってしまったが、私のベッドは手が付けられず、布団袋は縛る直前までしかできなかった。
 やってきた兄貴に、送って欲しい荷物を説明し、作業途中になっていることを詫びたが、後はやっておいてくれるという。助かった。
 しかし、ご近所への最後のお礼の挨拶は必要だろうから、近いうちにもう一度来なければならない。
 郡山駅で恒例の竹輪天蕎麦を食べ、駅前でやっているコンサートを聴きながら、柿崎先生の到着を待った。
 コンサートは青年会議所主催で、学生のソロやバンド演奏だった。昔のフォークソングでもロックでもない、どちらかというとニューミュージックに近いサウンドだが、若さを感じて気持ちいい。
 梅雨の真っただ中なのに、青く晴れた空の下、爽やかな風も吹いていて、2年半前の心筋梗塞から(震災をはさんで)認知症発覚、入院、大腿骨骨折、肺炎そして逝去と、人生のつらい時期を過ごしてきたその終結が、いい意味で、受け入られる状態になってきたことを感じた。
 先生に見送られて高速バスに乗り、土砂降りの新宿駅から東京へ、のぞみに乗り換えて、今回も10時間かけて帰宅した。
 手際の悪い夫に内心呆れているのだろうが、ワイフの「お疲れ様」の声で出迎えられた。

6月24日(月)「千客万来・・・の風さん」
 旧職場へ出社し、昼過ぎまで身辺整理。できるだけ捨てないと、研修所はもちろん自宅も置き場がないので、困ったことになる。
 夕方、本社へ出張し、来客を迎えた。
 応接室をうまく押さえることができなかったので、ギャラリーを案内して時間調整をしたが、私の説明は好評だった。それはそうだろう。常に本質を把握しているし、何といっても私は作家だ(笑)。
 その作家の私に用がある珍しいお客様だったので、しっかりサービスしようと思いつつ、結局、自己PRに終始してしまった。
 名工大の先生の紹介なので、与えられたミッションはしっかりこなさなければならない。

6月25日(火)「忙中やっぱり忙のみ・・・の風さん」
 研修所へ出社し、月末の仕事を集中的にこなした。
 中でも、同じTグループに勤める知り合いの生産技術者が、このたびめでたく役員に昇格したので、拙著をお祝いに贈呈する手配をした。メーカーにおいて、生産技術者が経営陣に揃うというのは頼もしい。
 さらに、3日後に予定している私主催の会議の準備もほぼ終えた。
 今夜は、送らなければならないメールをじゃんじゃん送っておいた。
 まだまだやることがあるが、眠い。
 怒涛の週末が迫っている。

6月26日(水)「だんだん生活の乱れ・・・の風さん」
 今朝の2時半に書斎で目が覚めたので、そこからたまっている仕事や勉強に取り組んだが、出社時刻が近付いたころ、また猛烈に眠くなり、30分間だけ仮眠した。
 梅雨らしく雨が降る中、本社へ向かってキャメロンを走らせた。
 パワーがあってマニュアル車というのは、実に運転が楽しい。
 会議のあと、旧職場の仲間が登場する討論会を聴講した。それ以外の発表は黙って聴くだけと思っていたが、気になる発表があって、手を上げて質問してしまった。こういった我慢のなさは、昔からとも言えるが、老人性とも断言できる。
 昼食後、旧職場へ出張して、また身辺整理。
 夜は、「長谷川伸の会」の司会原稿作成。すぐ出来た。

6月27日(木)「雑務だけはこなしていく風さんの巻」
 旧職場へ出社し、雑務をこなした後、研修所へ向かい、予定していた私主催の会議をおこなった。参加者は若干少なめだったが、面白い話をした。
 その後、月末のまとめ仕事を一気に片付けて、退社。
 夜、兄貴に電話して、やはり7月は福島へは行けそうもないと伝えた。
 明日の準備をして早々に就寝。

6月28日(金)「せっかくの上京だったのに・・・の風さん」
 今日は(有休)第50回長谷川伸の会である。
 幸運にも雨は降りそうもない。
 経費節減のため、ぷらっとこだまで東京まで行き、昼食はいつものようにパンと缶コーヒー。
 日本能率協会の本部に寄って、公私の境目がなくなってきた仕事のため、担当者と腹を割った打ち合わせ。
 厄介な私の事情をよく聞いてもらった。感謝。
 それから、猛暑の中、明後日が祥月命日になる野村敏雄先生の墓参をしようと新宿へ向かった。
 時間的なゆとりもあるし、既に2、3度来ている場所なので、実は油断していた。
 いつもの地下鉄の駅で下車し、コンビニで冷酒を購入し、自分もお相伴しようとカップをもらった。
 それから、目指すお寺に徒歩で向かったのだが、結局、たどり着けなかった。
 理由はよく分からない。ただ、何割かは私のボケが原因だ。
 慌てて四谷の弘済会館へ向かい、例年のごとく長谷川伸の会の司会者としてまじめに務めた。
 五大路子さんとやっちゃん、塩原温泉和泉屋旅館のご主人とお姉さんと再会できたのはうれしかった。
 司会を終えて、懇親会になったが、今夜中に帰宅しなければならない私に残されている時間は少なかった。
 空腹にならない程度にお腹におさめて会場を後にした。
 終電車で帰宅したが、今日は移動中常に明日以降のビジネススクールの予習に余念がなかった。

6月29日(土)「ビジネススクールが始まった・・・の風さん」
 コーポレートファイナンスの授業が始まった。昨年も似た授業があって、会計やIFRSが中心だった。会計は基礎になるので、いちおう復習はしてあった。
 今回のコーポレートファイナンスは、企業価値の評価、M&Aへと発展する。
 理論的な面があるので、できるだけ予習に時間を割いたが、ボケた頭には不十分だった。
 それでも今日は、基礎的な話が多く、かろうじてついて行けた。
 帰宅すると、上野先生からご本が届いていた。
 上野健爾著『円周率が歩んだ道』(岩波書店)である。
 円周率は鳴海風の代名詞みたいなところがあるから、この際、しっかり勉強しなければ、と思うのだが……。
 明日は課題レポートを出さねばならない。

6月30日(日)「少年老い易く学成り難し・・・の風さん」
 レポートを作成するために、ほとんど徹夜になってしまった。
 しかし、このままでは講義中に失神する恐れがあると思い、30分だけ仮眠した。
 さらに行きの電車の中でもうつらうつらした。
 講義はどんどん難しくなり、途中からまったくついていけなくなった。
 昼休みは、パンと缶コーヒーで済ませた後、弱った頭脳を休ませた。
 しかし、午後も相変わらず、授業についていけない。
 また空しい週末の終わり方だ。
 帰宅し、夕食後、本格的にダウン(そのうちポックリ死ぬかも)。

2013年7月はここ

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